『おこう』は、侍女として
これから、信幸に仕えていくことになるわけですが、




当初の病気がちだった体裁は、
いつの間にか、無くなり
今では、人に対してお世話できるほどに回復♪




文禄4年(1595)、なんと、信幸との間に待望の嫡男が誕生。
のちの、真田信吉になります。




慶長19年(1614)大坂の陣に、真田信吉・信政兄弟が出陣。
幸いに、二人にとっては、叔父にあたる
真田信繁との直接対決は、避けることが出来ました。



ちなみに、信政は、小松姫の子供です。




この『おこう』の息子
信吉は、大坂の陣後、父信幸から沼田城主として3万石を与えられますが
寛永11年(1634)わずか40歳で亡くなっています。



信幸の嫡男・信吉を生んだ
『おこう』さんについて、見ていきましょう!




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【真田丸の魅力とは?】


真田丸が最近人気ということでうれしい限りですが、
このなかで『おこう』という真田信幸の妻が面白い役どころを演じています。




史実としてはほとんど資料が残っていない方なので、
いろいろな物語を作りやすいといったことがあるのかもしれません。





『おこう』は史実としては、信幸の元正室ということになっています。
真田家が徳川家の傘下に入る時に、徳川の重臣本多忠勝の娘が
信幸の正室とされたことで、側室となったようです。


史実ではこれだけしかわかっていません。




ですが、真田丸では最初は『おこう』は病弱な女性で
半分寝たきりのようなイメージで登場します。



そして、この忠勝の娘・稲(いな)が正室になったときに、
信幸とは離縁されて侍女として働き始めるということになりました。




侍女となったことで元気になって信幸や周りの人に
お仕えすることができるようになったという不思議な設定です。




しかし、これがなかなか面白いことになっていて、
真田丸の魅力の一つともなっているようです。



【弱小大名が生き残るために政略結婚】


戦国時代ですから弱小大名は大大名のいうがままにするしかないとはいえ、
正室が側室になるというのはかなり屈辱だったはずです。
さらに嫉妬もあれば口惜しさというものもあったはずなんですが
意外と、昔は病弱だったものが元気になったということで、
あまり卑屈なイメージとならないように考えられているわけです。

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戦国時代は女性もいろいろな戦いをしています。
実家のお家の事情などいろいろなことが入り混じっているのですが、
それを笑い話のようにしてしまっているところが、
真田丸の魅力の一つではないでしょうか。




戦国時代の厳しさというものがありながらも、楽しいこともある
ということが垣間見えるのがこのドラマでもあるような気がします。




本多忠勝もこの話を家康からされた時には、
かなり嫌な思いをしたように描かれています。




何しろ本多忠勝は徳川四天王の一人にあげられるほどの重臣中の重臣です。
ある意味では徳川家康に次ぐ実力者ともいえなくはありません。




その娘を嫁にもらうということは、
真田家にとってはとても大きな意味があるものとなったでしょう。




後の関ヶ原の戦いにおいて信幸は、父と弟が豊臣家につく中で
徳川家につくことを選ぶことになります。




世にいう犬伏の別れという話につながっていくわけですが、
こうした人間ドラマが展開していくのも真田丸の面白いところです。
『おこう』も魅力的に描かれていますが、他の人物もそれぞれ
魅力的に描かれているのが真田丸の魅力ではないでしょうか。




また真田家の女性陣は、『おこう』だけに限らず
みなたくましく、この荒々しい戦国時代を
乗り切るために、一致団結していきます。




真田家という家族が、いがみあって
いたら、それこそ、すぐに滅んでいたことでしょう。
これからの『おこう』に注目しながら
終わりたいと思います。

ではでは。



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