前回の放送で、

徳川家康が昌幸に問いただした
『武藤きへい』なる名こそ

のちに、戦国第一の謀将(ぼうしょう)と言われる人物に!?

今回は、武藤きへいについてシェアしたいと思います。

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小見出し

【武藤きへいとは、武田信玄から授かった】

まず、
最初に『武藤きへい』『武藤喜兵衛』

『きへい』のこの部分は、
上記のように『喜兵衛』です。

そして、武藤喜兵衛なる人物こそ、
のちの真田昌幸その人であります。

なので、
武藤喜兵衛真田昌幸ということになります。

まだ、閉じないでくださいね(笑)

なぜ、武藤という名を名乗ることになったのか?

まず、真田昌幸の生い立ちから、
ご説明いたします。

昌幸は、
天文16年(1547)年に信濃国に生まれます。

昌幸は、親父さんの
真田弾正幸隆(さなだだんじょうゆきたか)の三男で
昌幸の10歳上に信綱(のぶつな)、4歳上に昌輝(まさてる)
二人の兄がおります。

なので、
真田家の家督を継ぐ権利は、
長男の信綱であり、

昌幸は、当然、
戦国のならいとして
甲府の武田信玄のもとへ、
人質として送られています。

当時の慣習として、
人質は今で言う『担保』

つまり、
服従の証(あかし)として提供する
みたいな感じです。

ですから、自分の母親や娘・息子は
敵側に『担保』
として、提供されます。

もし、裏切った場合、
『担保』として
預けられている人質は、
最悪の場合、処刑されます。
中には、助かる場合もありますが…

そして、武田信玄の場合はというと
人質という意味あいもありましたが、

配下の子供に自分の身の回りの世話をさせ、
自分の敵にならないように
教育していくということをやっています。

そして、その教育の中で、
見込みのある有望な子弟を
奥近習衆(おくきんじゅうしゅう)として抜擢(ばってき)。

いわゆる、今で言う英才教育ですね。
そして、人一倍、
人材育成に努めています。

武田信玄は、
人の長所をつかむ名人だったんですね。

真田昌幸は、もちろん、
すぐに信玄の目に留まり
寵愛され、
奥近習衆へと採用されています。

若年(じゃくねん)から青年期いたる
人生のもっとも感受性の高い時期に

武田信玄から、戦術論から戦略、
はたまた人物評価などを学び

のちの、
戦国一の謀将の土台が、
このとき育まれたのでしょう。

特に、昌幸曽根昌世(そねまさただ)は、
『我が目の如し』と称(たた)えられ
信頼をされています。

きっと、昌幸は信玄のことを
第二の父として尊敬していたのでしょう。

その後の謀将ぶりは、
まさしく信玄公を思い描くような戦いぶりで
真田家が生き残る為に、
様々な奇策を駆使して、活躍!

のちの天下人、徳川家康は、
真田昌幸の存在に最も苦しめらることになります。

天下分け目の戦いの『関ケ原の戦い』でも、
危うく勝機を失いかけるほど
の影響を与えています。

この話は、また、
別の機会にご紹介したいと思います。

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【真田昌幸の弟、信尹は昌幸と双子だった可能性が!?】

真田丸にも、登場してきますが、
昌幸には、弟の真田信伊(さなだのぶただ)という
人物がいます。

この信伊も兄の昌幸と共に、
信玄のもとへ人質として送られており
信伊も信玄から、厚遇され、

甲斐の名門で、
加津野昌世の養子となり、
加津野市右衛門信昌と称しました。

昌幸は、信玄の実母の実家である
武藤家の養子として
武藤喜兵衛という名で、
足軽大将として活躍。

それにしても、昌幸の上のふたりの兄といい
この弟も含めた、
4兄弟すべが、
信玄公を支える武辺物として活躍。

凄い一家ですね。

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そして、この信伊(のぶただ)の生まれが天文16年(1547)

あれ、この年は昌幸の生まれ年でもありますね。

母は同じ母親なので、
一年に二人も生むことはできないので

これは、兄昌幸とその弟信伊は、
双子の可能性が出てきたのです。

双子の赤ちゃん

 

 

 

 

 

 

この信伊は、武田家が滅んだあと、
当初は北条氏直に属していたのですが
天正12年(1584)から徳川家康に仕えるようになります。

そして、兄の昌幸が徳川陣営へと鞍替えするときに、
間をとりもったり
して、兄昌幸を陰から、
助け船を出したりしています。

このような出来事からも、真田家は、
戦国乱世の世の中では
珍しいくらいに、兄弟愛を発揮して
真田家のいくすえを助けあいながら
切り抜けていきます。

ますます大河ドラマ楽しみに
なってきましたので
今回はこの辺で!

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