信濃の一国衆に過ぎなかった真田家を
大名にまでのし上がるまでに、仕立て挙げたのは
真田昌幸




そして、その長男として生まれた
源三郎信幸
常に冷静沈着で温厚な性格で
ありましたが、いざ合戦となれば
先陣をきって戦う勇猛さも兼ね備えた武将でした。




そんな、信幸には、『おこう』又は、『こう』という
正室がいました。




ですが、いろいろないきさつがあって
徳川家康の重臣・本多忠勝の長女である稲(いな)又は小松姫
縁組の話が持ち上がります。




さてさて、今回は
真田信繁の兄である信幸の正室について
シェアできたらと思います。

それでは、いきましょう!



【真田家と徳川家の橋渡し】


今回の大河ドラマの主役は、もちろん
真田信繁(堺雅人)
しかし、その兄である真田信幸(大泉洋)は、あまり弟ほどには
知名度がありませんが、真田の家名を明治維新まで
存続させることに成功した、真田家には
なくては、ならない人物でした。




そんな難しい役を、大泉洋さんが
普段のお茶目なところを封印して
まじめに、演技されておられるので
余計に印象深く感じられます。




さて、そんな信幸には、すでに正室として
『おこう』さんがいました。




NHKのサイトでは、『こう』という名前になって
おりますが、ドラマの中では、『おこう』
言っているように聞こえます。

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この『おこう』さんは、
信幸の嫡男・真田信吉(さなだのぶよし)を生んでいます。




だったら、やはり信幸の正室は、『おこう』(長野里美)さんに決まり。
と思うのですが、




天正13年(1585)の第一次上田合戦以来
徳川家と真田家は、敵対関係になり
最悪の状態でしたが、




上杉家を通じて豊臣秀吉に臣従することに
なると、秀吉の命により
敵対関係にあった徳川家の与力になることに
なります。
与力とは、いざ合戦となれば、配下となって
戦わねばならなくなります。




これは、真田家にとっては
微妙な立場なので、それを和らげる意味もあって
真田家と徳川家の、結びつきを強めるために
信幸と稲(いな)の縁談が持ち上がります。




前回の真田丸では、信幸(大泉洋)は
即座に、父・安房守昌幸に『お断り下さいませ!』
拒んでおりますが、




しかし、徳川の与力となった以上
この縁談を断るわけには、いかず
結局は、成立。


晴れて、稲【小松姫】は、信幸の正室として迎えられます。

じゃ、『おこう』さんと『稲』二人とも正室?




では、なくて
『おこう』さんを正室から側室へと格下げしております。



何とも、『おこう』さんがかわいそうな気もいたしますが
この『おこう』さんは、父・真田昌幸の兄・真田信綱の娘なので
信幸にとっては、従姉弟になるわけなんですね。




なので、真田家のことを考えて
説得をすれば、きっとわかってすんなりと
身を引いてくれたのでしょう。
この辺のいきさつは、5月22日のドラマを
見ていただければ、わかると思いますのでぜひ、見てくださいね。


【家康もその才能を認めた信濃の獅子】


かつて、武田信玄公
天塩にかけて育てた真田昌幸・信伊兄弟。



信玄公が『我が目の如し』といって重用したのが
真田昌幸でした。




その名にふさわしく、主家である武田家が滅び
天正10年(1582)天正壬午の乱と言われる
信濃・甲斐・上野の領有をめぐって
徳川家康・北条氏政親子・上杉景勝と
名だたる大名たちに混じって
ついには、大名にまで登りつめることになります。




そんな昌幸の右腕となって戦場を駆け巡った青年こそ
真田信幸その人であります。




信幸も父や弟に一歩も引けをとらない戦上手でした。
それが、如実にあらわれたのが
天正10年(1582)の手子丸城戦でした。




当時、信長が本能寺にて討ち死にしたため
信濃から上野一帯を治めていた滝川一益
北条氏直の大軍と衝突。




滝川一益は、最初善戦しましたが
大軍にまさる北条氏に敗れ、自分の領国の伊勢へ逃亡。




当初は、勢いの勝る北条側についていた真田昌幸
しかし、北条軍が南の甲斐へ侵攻すると
徳川方へ寝返ります。
これを知った北条側は
早速、真田領である岩櫃城近くの手子丸城へ5000の兵と共に
急襲。城に詰めていた浦戸兄弟は、多勢に無勢。
城を乗っ取られてしまいます。




岩櫃城にて、手子丸城のピンチの知らせを聞いた
信幸は、800の兵と共に救援に向かいました。
が、浦戸兄弟は落城の責任を感じ
自害してしまいます。




手子丸城へ到着した信幸は
浦戸兄弟を助けられませんでしたが
このまま、城を取られたままで
引き下がるどころか、奪還に向けて開始。

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まず、150の兵を囮(おとり)にして
城から1000人ほどをおびき出す一方で
裏手の寺に放火します。




前後に真田兵が現れ浮足だった北条軍。
その時、金の馬鎧(うまよろい)を着た武者が眼前にあらわれました。
もちろん、北条側は、信幸本人が現れたと思い
『かかれ!かかれ!』と猛攻撃。




しかし、これも囮(おとり)で
金鎧(きんよろい)の武者は、真田配下の唐澤玄蕃でした。
信幸本人は、300人の主力部隊を率いて
唐澤部隊と戦う北条軍の横っ腹から突如襲い掛かります。




思わぬところから
急襲された北条軍は、城に退却。
籠城しようとしますが
兵士たちの動揺が収まらず、裏口から逃亡する輩も続出。




これを見た信幸は、一気に奪還するチャンスととらえ
大手門口から攻めさせて
自身は、守りの手薄だった北の丸から50人の兵とともに侵入し
奇襲をかけて火を放ちます。思わぬ火の手に
北条軍は、味方の裏切りが出たと思い、我先にと逃亡。




真田信幸は、難なくあっさりと一日で城を奪取します。
少ない手勢で大軍を撃破するという
見事な采配。




のちに、この手子丸城を守っていた富永主膳は将軍家の旗奉行に
なるのですが、このときの信幸の見事な采配ぶりに感心して
多くの人に話して聞かせたそうです。




まさしく『信濃の獅子』
徳川家康も信幸の才能を見込んで
養女とした稲【小松姫】と婚姻関係を結んで
真田家を取り込むことにしたのでしょう。



家康が見込んだとおり
こののち、信幸は、徳川家の為に
忠義を尽くすことになります。



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