真田丸では、主役は真田信繁なので黒田官兵衛との関係は
あったのか、なかったのかわかりませんが、面識ぐらいはあったかもしれませんが、晩年の豊臣政権では、黒田官兵衛は、石田三成らの奉行衆から邪魔者扱いされていたのかもしれませんね。



今回は、天才軍師・黒田官兵衛について
シェアできたらと思います。

それでは、いきましょう!



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【竹中半兵衛が最後に官兵衛に伝えた教えとは】


豊臣政権の大事な後継者《秀次事件》を失った秀吉。天下人秀吉が頼りにしていた重臣と言えば、弟の秀長と堺の商人でもあった千利休。



しかし、秀次事件【文禄4年(1595)】が発生した時期には
秀長も利休もすでに、亡くなっており、直接秀吉に意見を具申(ぐしん)できるものは、すでにいなかったのでしょうか?



いや、秀吉の軍師として名をはせた黒田官兵衛はどうしていたのでしょうか?
軍師ならば、秀吉の側近くで仕えているはずなのに、どういわけか秀吉から距離を置いていた官兵衛



実は、秀吉は黒田官兵衛の並々ならぬ智謀と才覚に恐れを抱いて
いたのですが、天下統一事業が達成すると、官兵衛を豊前国(ぶぜんのくに)の6郡、約12万石あたりを与えて九州へと追いやっています。
今までの官兵衛の活躍から考えると、かなり領地が少なめですが
それだけ、秀吉は官兵衛を恐れていた証拠になるのではないでしょうか。



そして、黒田官兵衛自身もあえて、秀吉に対して苦言をいわず
秀吉の意向を先に、察知して自ら九州の地を願ったのかもしれませんね。



なぜ、そう思うかと申しますと
秀吉には、かつてもう一人の軍師・竹中半兵衛という人物がいました。この半兵衛は、天正7年(1579)に亡くなっているのですが
生前、官兵衛が、秀吉に仕えるさいに秀吉からしたためてもらった手紙といいますか、ある誓紙をいつも大事そうに懐(ふところ)にしまっていました。



その誓紙には、
『秀吉の直筆で、わしと官兵衛は、これから兄弟のような間柄になるので、官兵衛に対して疑いの念は絶対にもたない』というようなことが書かれていました。



この誓紙の事を自慢げに、半兵衛に語ると
半兵衛は、官兵衛の目の前で、その誓紙を真っ二つに破りすてて
火桶の中に放りこんでしまいました。



『あ!っ』と叫んで、呆然(ぼうぜん)としている官兵衛に対して、半兵衛は
『秀吉殿と官兵衛殿は、主従関係ではないか。どうして兄弟のような関係になれようか。このような災いのもとになる誓紙などは、早々に忘れることこそ肝要だと思ったので、焼き捨てたまでだ』
語りました。



実は、半兵衛は、秀吉が官兵衛を軍師として使いながらもその才知をたいへん恐れ警戒していることを知っていたので、このことをどうしても官兵衛に伝えたかったのだそうです。



この一件以来、官兵衛も秀吉の隠れた真意を読み取っていたからこそ、天下統一がなった今、わざと秀吉から距離を取ったのかもしれませんね。

それにしても、竹中半兵衛恐るべしですね(笑)


【信繁と官兵衛の接点はなし?】


真田丸では、秀吉の天才軍師黒田官兵衛との関わりというのはあまりないので、特に描かれることは少ないと考えられます。



特に黒田官兵衛は最近の大河ドラマ【2014年軍師官兵衛】で主人公として登場していますから、その人物をまた登場させるというのは控えるでしょう。



真田丸の主人公である真田信繁と黒田官兵衛とはそれほど接点はありません。ただ、黒田官兵衛の息子である黒田長政とはちょっと接点はあるようです。




黒田長政は関ヶ原の戦いにおいては、この戦いのキーマンとなる小早川秀秋を西軍から東軍に寝返らせたとされる人物で、この戦いでの重要な役回りをすることとなる人物です。
真田信繁とは直接的に戦ったり、権謀術数を掛け合ったりするということではなく、間接的に重要人物同士として関わりを持つこととなる可能性はかなり高いでしょう。



秀吉、家康といった世代の次の世代が信繁や長政といったことになるでしょうから、これからの真田丸ではかなり彼らの世代の動きが活発になることが考えられます。


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【豊臣秀吉が最も恐れた器量人が官兵衛】


真田丸の大舞台となる大坂の陣は、それまでの戦いが関係してきます。それが関ヶ原の戦いであり、朝鮮出兵でもあります。



こうした戦いを経験するのが長政です。
その父の黒田官兵衛は朝鮮出兵に参戦こそしていますが、戦闘に関しては、息子黒田長政に任せており、あくまで軍監として渡海していますが、体調を理由に帰国したり、また石田三成を中心にした軍目付と確執が生じたりして、不本意な結果となりました。
この石田三成の一派と実際に現場で戦った加藤清正らの確執が関ケ原の遠因となっていきます。




秀吉は自分が死んだ後に天下をとる可能性が最も高い人物として、この黒田官兵衛の名を上げていたともいわれていて、秀吉の天下取りを助けた人物であるとともに、秀吉が家康以上に最も恐れた人物でもあったともいわれています。



そのため、九州に所領を与えて自分から遠ざけたともいわれています。
関ヶ原の戦いでは、直接この戦いに参加はしなかったものの、この戦いをきっかけとして九州で大きな勢力を獲得して、天下を狙うつもりだったともいわれています。



有名な逸話として息子長政が関ヶ原の戦いの褒美を家康から賜った自慢話を父にしたときに、その方の手はその時何をしておったと暗に家康を暗殺しなかったことを咎めたともいわれています。



ただ、その黒田官兵衛と真田信繁はそれほどの接点はないので、今回の真田丸ではそれほど重要な場面で登場するということはないでしょう。
もしあっても挨拶をかわす程度となると考えられます。


【最後に!】


黒田官兵衛が我が息子のように愛した武辺者とは?
真田丸のキャストでは、後藤又兵衛は誰が演じるのか?