ついにスタートしましたね(笑)
武田家の滅亡からスタートということで
いきなり、真田家の大ピンチ!
最初から凄いスタートで驚きですね。
武田家の最後の当主、武田勝頼は
常に歴史上では、
武田家を滅ぼした無能な当主として語られることが多いのですが
実際どうだったのか?
それではいきましょう!
小見出し
【天正壬午の乱の幕開けです!】
武田信玄は、たしかに戦国最強と言われただけあって、
領土を確実に拡大。信玄がもう少し
長生きしていれば、歴史は変わったかもしれませんが、
実際は、悲しいかな…
信玄は、元亀4年(1573)になくなったので、
信玄が死んでから9年後、天正10年(1582)に
武田家は滅亡したことになる。
ですので、信玄が亡くなったのち、
後を継いだ武田勝頼は、よく頑張ったと思うのですが、
長篠(ながしの)の戦いという有名な戦いが、
天正3年(1575)に勃発。
この戦いでは、
武田方の完敗で、信玄以来の有能な家臣、
山県昌景や馬場信春といった武将がことごとく戦死。
この戦いでは、真田昌幸(草刈正雄さん)の二人のお兄さん、
真田信綱・昌輝兄弟も戦死。
真田家の歴史を知りたい方はこちら
➡真田丸キャストで気になるのが織田信長をどの俳優さんが?
事実上この戦いで武田の戦力は、激減している。
なので、武田勝頼は、よく戦ったといえるのですが、
何せ相手が、あの織田信長です。
相手が悪かったということでしょうか。
それに、信玄には、
嫡男の義信という立派な跡取りがいたのですが、
謀反の疑いがあり
ということで幽閉し、最後は自害させています。
これは、信玄自身が親父さんの信虎を追放して
家督を引き継いでいるので、自分も追放されるのでは、
ないかと疑心暗鬼になったからかも
しれませんね。
ちなみに信玄の次男は、盲目のため出家。
三男は早くに病死していたので、
四男の勝頼が信玄のあとを継ぐことになる。
ドラマでは、平 岳大さんが演じておられますが、
なんともいえない
雰囲気が出ていて、とてもよかったです。
平 岳大さんのインタビュー記事はこちら
(真田丸のサイトに飛びます)
➡平 岳大さんのクランクアップを終えて
お父様の平 幹二朗さんが
1988年の大河ドラマ『武田信玄』主演中井貴一で
信玄の父親役の信虎を演じて
おられたのを私は思いだすのですが、
やはりお父様の血を引いていらっしゃるのか
なにか縁を感じますね。
武田が滅んだあと、武田が支配していた駿河は徳川家康が支配し
甲斐の国は、信長の家臣・川尻秀隆
北信濃の国は、森 長可
そして西上野の国は滝川一益に与えらることになる。
しかしこの天正10年(1582)は、あの本能寺の変が起こるのである。
そう信長に任命されて敵地つまり甲斐と信濃と西上野はいきなり
空白地帯になったのである。
そしてこの空白地帯を巡って起きる争いが天正壬午の乱の始まりである。
【本能寺の変を起こした光秀役は意外なあの人が!?】
天正壬午の乱のきっかけである本能寺の変の
首謀者がかの有名な明智光秀。
この日本史最大のクーデター事件の謎は、
いまだに解明されていませんが
歴史好きな人にとっては、とても楽しい推理ゲームです。
以前は、光秀が信長の非情な仕打ちに腹を立てて、
謀反を企てたと言われていましたが
最近読んだ本で、明智光秀の子孫という明智憲三郎という人が書かれた
『本能寺の変 431年目の真実』という本があるのですが、
この本による推理はとても興味深いので、
ぜひみなさんも読む機会が
ございましたら、
ぜひ一読してみてくださいね。
これは、あくまで私の考えですが、
本能寺の変がまさに起こる直前、
神戸信孝・丹羽長秀率いる軍勢が四国征伐の為、
準備しているときに、
明智が謀反を起こしたという事実から、
やはり長宗我部元親が
とても怪しいなとは、感じていますが、
真実はやはり闇の中としか
現時点では、なんともいえないですね。
ドラマでは、その明智の役を『岩下尚史』(いわしたひさふみ)さんが演じられることに
なりました。
岩下さんは、よく明石家さんまさんが司会の番組で
伝統文化評論家として出演されているので
この配役には、とても驚きました。
しかし、明智光秀という人物は、
文武両道で当時としては
珍しく朝廷や幕府にも人脈やコネがあった人物で
『岩下尚史』さんの多才な教養が、
配役の決め手になったのでしょうか?
とりあえず、今回は役者デビューということらしいので
みなさん、温かく見守っていただきたいと思います。
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