昨日、NHKの歴史番組で
『歴史秘話ヒストリア』スペシャルで
「徹底解明!これが真田丸だ~地中に残された幻の城~」という番組が
あったのですが、みなさんご覧になられましたか?



なんと、真田丸のあった場所がついに判明しました。
そして、真田丸の強さの秘密もわかります。

好評につき
新たに再放送されることになりました。
2016年4月15日(金)[総合]午前0時10分~午前1時23分【※14日(木)深夜】
録画予約忘れずに!


それでは、いきましょう!

と、その前に

続報です!!
なんと新たに松江市で、真田丸の構造を記した絵図が発見!されました。
詳しくは下記・小見出しの【新たに真田丸の古地図が発見!!】をクリックしてくださいね。
記事にジャンプします。





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【真田丸は、半丸の形状では、なかった!】

いままで、真田丸というのは、
半円形の形で大坂城の外堀にちょこっと
飛び出したような形だと想像されていました。
このような形↓
真田丸の画像








ところが、去年の夏、
現地を詳しく地中レーダーを使って検査したところ
新たに凄い発見がありました。
まず、地中レーダーに現れた堀のあとが想像以上に深くて
幅があるということが
わかったのです。

大坂城の総構掘(そうがまえぼり)
深さ11メートル
 幅 30メートル

真田丸の堀
深さ8メートル
 幅40~45メートル

上記を見ていただきたいのですが、
深さこそ大坂城の堀より少し浅いですが
幅は真田丸のほうが、広かったという事実が。





砦というよりかは、城に近い規模のクラスですね。
そして、戦時中、アメリカが大坂市内を空襲したあと、
飛行機による航空写真を撮影
したものがあって、




その写真を使って、大坂城の南、
今回のレーダ探査で
見つかった堀のある場所が移っている航空写真を使って、
真田丸の場所や形が判明したというのです。




現代の科学調査でついに謎が解けたのです。
(奈良大学 学長 千田 嘉博さん)

まず、半円形では、なくて四角い台形のような形ということが、判明したのです。
そして場所は大阪市天王寺区の餌差町だとわかったのです。
こちらの記事にも真田丸について詳しく解説しています
真田丸とは何の名前?誰がつけたの?



これで真田丸の全貌がようやく
現代によみがえったと思っていたのですが
実は、江戸時代初期にこの真田丸の様子を描いた
絵図が残っていたのです。




それは、広島藩の浅野家が所有していた
諸国古城之図という177枚あるうちの
一つに、『大坂真田出丸』という題目で四角く、
描かれていました。




ですが、今までは、半円形の形だと思われていたので、
見向きもされなかったわけですが、
実はこの絵図こそ真田丸の形を忠実に
描いていたんですね。

しかも、この古地図を片手に千田嘉博さんが
現地を調査すると
ほぼ、この古地図どうりの形状どうり、
道路の形もそっくりです。



こちらがその古地図になります。
真田丸(広島市立中央図書館所蔵)

















そして、その古地図をみますと、
真田丸の中にお寺があって
そのお寺の構造物を巧みに利用して、
築かれたのが真田丸なのです。




そして、真田丸の築かれた南側は、お寺がたくさんあって
徳川の大軍が押し寄せても、
自由に動けないという場所だったのです。






しかも真田丸が築かれた場所は、
北・東・西と崖になっていて周りから
一段高い場所だったので、
南側に上記に記した深さ8メートル
幅40~45メートルの大きな空堀があって
鉄壁の要塞だったのです。






ですので、徳川軍は、南の寺町から攻め寄せたとしても
空堀に落ちてしまって、もたもたしているうちに
真田丸からの鉄砲の射撃で壊滅状態になるわけです。





そのうえ、実は真田丸には、
恐るべき大型銃が装備されていました。
その名は、『大狭間筒(おおはざまづつ)』と言われる
長さ2メートル、重さ20キロもあるとんでもないものです。




ですから、一人ではもてないので、
3人がかりで射撃している様子が
大坂冬の陣屏風図に描かれています。
しかも、この『大狭間筒(おおはざまづつ)』
射程距離が300メートル
普通の火縄銃より2倍の射程距離があり、
威力もすさまじく
簡単に当時の甲冑(かっちゅう)を貫いてしまいます。





この真田丸の戦闘で徳川方は1万人以上の戦死者が
出たとの記録もあり
まさに、難攻不落の要塞です。





しかし、その後徳川家康は、大坂方と和睦し、
和睦の条件として
大坂城の堀とこの真田丸も壊されてしまいます。





5ヶ月後、大坂夏の陣が勃発。




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今度は、大坂城に籠城することが
できないので、大坂方は、
城外に討って出なければなりません。

ですが、真田信繁は、あきらめていませんでした。
なんと!!なんと!!




【なんと大坂夏の陣でも、第二の真田丸があった!?】

番組の後半で、明かされたのは、
信繁がもう一つの『真田丸』を築いていたと
いうのです。
その場所は、冬の陣の時、
徳川家康が本陣を置いていた
茶臼山だそうです。





家康が本陣を置いていただけあって、
頑丈な遺構をそのまま、再利用して
新たに丸馬出(まるうまだし)を付け足していました。
この構造もさきほど紹介した
広島藩の浅野家の諸国古城之図のなかに
茶臼山御陣図として描かれていました。
本当によくぞ残っていたのものだと感心します。





丸馬出(まるうまだし)の役目は、
敵に向かって騎馬隊を出すための
構造物らしいのですが、なぜこれを付け足したかというと
第二の真田丸に徳川軍を引き付けておいて、
そちらに気をとられている
あいだに、騎馬隊がこっそり、徳川軍の側面から家康本陣めがけて
攻め込むというのが、真田信繁の作戦でした。





がしかし、実際は、そうはなりませんでした。
味方の大坂方が焦って、先に攻撃を開始してしまったので、
茶臼山に築いた第二の真田丸におびき寄せて叩くという
当初のもくろみが、
この時点で泡(あわ)と消えてしまったのです。





信繁は、悔しかったに違いありません。
すぐに、気持ちを取り直して、
こうなれば、戦闘の混乱に乗じて
徳川家康本陣に突撃して、一矢を報いるしかないと
茶臼山の真田丸を捨てて、捨て身の突撃を開始しました。





真田信繁率いる、真田軍の猛攻にさしもの徳川軍も大慌て
あわや、これまでと家康も何度も自害を覚悟するほどに
攻め立てたのですが、
数に勝る徳川軍は真田軍を、ひとりふたりと
どんどん数を減らしていき、





信繁もついには、力を使い果たして
安居神社まで、押し戻されついには、
打ち取られてしまいました。




徳川本陣の旗が倒されたのは、家康が若かりし頃
武田信玄と真っ向からぶつかった三方ヶ原の戦い以来のことで
いかに、家康の命が危なかったかがうかがいしれますね。




真田信繁の武勇が、最後に天下にとどろいた瞬間でもあるわけです。



果たして、大河ドラマではどのようにこの場面を描くのか
みなさん、楽しみに待ちましょう。

追記
前回の放送が好評で再放送が決定!!
2016年2月7日(日){総合}午後4時10分から73分間
ぜひ、見逃さないように録画予約してくださいね!




【新たに真田丸の古地図が発見!!】


7月12日、松江市が松江歴史館で、真田丸を描いた江戸時代の絵図を発見したと報道されました。
今回、発見された江戸時代の絵図は、実際に真田丸の跡地に赴いて描かれたとみられ、
当時の武士が、軍事研究用に収集した絵図74枚のうちのひとつということらしいです。



その後、1953年にある市民から寄贈されて松江歴史館で保存。そして、今年の2月同館の学芸員が調査していたところ
今回の発見にいたったそうです。こういう歴史的な発見をうながすという意味においても
大河ドラマ『真田丸』の貢献といいますか、自然とドラマを見る人が増えると、関心がたかまるので
歴史的な資料が、発掘されるというのは、本当にうれしいことだと思います。



広島市立中央図書館が所蔵する『諸国古城之図』との違いですが、今回発見された絵図に
描かれている南側の堀の部分に「惣構堀【そうがまえほり】」という文字が記載。さらに
北側の部分には、「出丸」と表記されていて、真田丸の実像を探る上で貴重な発見となりそうです。


★『諸国古城之図』を元に現地を調査した千田嘉博・奈良大学長【城郭考古学】のコメント
「真田丸は大坂城に付属した出丸とする説もあるが、真田丸自体に出丸と本丸があったとすれば、大坂城から独立した軍事拠点といえる。真田丸研究に一石を投じる史料」だと
コメントされておられます。



今回見つかった絵図を包んでいた紙に「元禄」と書かれていたので
真田丸が壊されたのち、90年後かそれ以前に描かれた可能性があるとのこと。
絵図の大きさは、縦28センチ、横41センチだそうで、松江歴史館で9月16日から公開されるとのことなので
興味のある方は、ぜひ足を運んで、自信の目でご覧になってくださいね。





共同通信社による報道動画はこちら

詳細な真田丸の絵発見 松江、江戸期「極秘図」





下記が今回見つかった真田丸の絵図になります
下が北の方向で上が南方向になっているので少し見にくいかもしれませんが
古地図の下【つまり北側】に大坂城の総構え掘りがあると思ってご覧になってくださいね。
松江歴史館で見つかった真田丸の絵図
















わたくしも、身に行けたら、このブログにて感想を述べたいと思いますし
見に行かれたかたは、ぜひ感想をコメントくださるとたいへんうれしく思いますので
ぜひぜひ、下記のコメント欄からコメントくださいね。

また、続報があれば記載していきますね。
それでは!




真田信繁の本妻についてはこちら
真田丸では、正室の竹林院のキャストはないのか?