いよいよ大河ドラマ真田丸にて大事な場面でもある関ケ原の戦いが描かれるわけですが
その前に、突如降ってわいたようなニュースが入ってきました。
真田丸の主人公である真田信繁【堺雅人】の母親役を演じる高畑淳子さん。
その長男でもある高畑裕太さんの事件の報道です。
高畑淳子さん自身は、今は押しも押されぬ大女優として活躍中で、しかも個性的なキャラの俳優さんです。そのキャラは真田丸でも、存分に発揮されていて高畑淳子さん演じる薫【かおる】役で、とてもお茶目な演技で、視聴者のかたをなごませておられます。
私自身も薫【かおる】の登場シーンで何回も爆笑したひとりです
そんな、高畑淳子さんの長男である高畑裕太さんは、真田丸にも出演予定でした。
その出演の役とは、真田信政という人物です。
今回は、真田信政という人物についてシェアできたらと思います。
それでは、いきましょう!
小見出し
【真田信政とは!?】
真田丸の主人公は、真田信繁【堺雅人】。その信繁は、慶長20年(1615)大坂夏の陣で
戦死してしまうので、今年の大河真田丸のお話しは、そこまでしか描かれません。
ですが、実際の史実というか、真田家のストーリーは、信繁の兄・真田信之(信幸から改名)が徳川方として、真田家を存続できるように大坂の陣が、終わったあとも活動を続けていくわけですが、そこで、重要になってくるのが、信之【大泉洋】の子供や孫たちになります。
真田丸でも登場している『おこう』【長野里美】と『稲』【吉田羊】この二人の女性を妻に迎えた信之。真田丸でもこの二人の微妙な関係がうまく表現されておりますが、実際の史実でも、のちのちお家騒動に発展していきます。
『おこう』と『稲』のどちらが正室なのか?
という問題がありますね。
これに関しては、こちらの記事を見ていただくとして
➡真田丸のキャスト・稲(小松姫)とおこうは、どちらが正室?
表面上は、『稲』を正室として迎えていましたが
信之の心のうちとしては、やはり最初に妻として迎えた『おこう』さんが正妻では
なかったのかなと想像しておりますが、これは、本人に直接聞きでもしない限りわからないので、なんとも言えませんが。
さて、信之には
2人の息子が生まれます。
ひとりが信吉、もうひとりが信政。
★長男・真田信吉【1595~1634】母は『おこう』。
★次男・真田信政【1597~1658】母は『稲』又の名は『小松姫』 補足・猛将本多忠勝の娘
この二人は、大坂の陣が起こった時は、父・真田信之【病気だった】の代わりに出陣しています。信吉が21歳で信政が19歳。ともに初陣だったので仕方がなかったとは、思いますが、敵方の豊臣方に敗れて兄弟共に負けて逃げたと言われています。
あまりのふがいなさに『稲』は、『父の名代として2人も出陣しているのだからどちらか1人でも戦死するぐらいでちょうどよい』と語ったとか。
さすが、徳川四天王の一人、本多忠勝の娘ですね。とても勇ましいお言葉(笑)
この真田信政の役を高畑裕太さんが演じる予定だったそうですが、今回の事件でお蔵入りすることに……。新たな配役で取り直されるとのことだそうです。高畑淳子さんとの親子共演を見られないのは、まことに残念ですが、こればっかりは何とも致し方ないですね。
【真田家存亡の危機が!】
大坂の陣が終わった後、父・信之が沼田から上田に移ったあとの沼田城主として真田信吉は3万石の所領を相続しました。この時点での沼田3万石は、独立した藩ではなく本家松代藩から領地を分け与えられた形でした。しかし、寛永11年(1634)、信吉は江戸にてわずか40歳の若さで死去してしまいます。あとを引き継いだ信吉の子、真田熊之助は、わずか4歳とあまりに幼い為、信吉の弟である信政が後見人として政務を取り行いました。
寛永15年(1638)信吉の遺児・熊之助は7歳であっけなくこの世をさりました。もちろん、熊之助に跡継ぎがいるわけがないので、後見人を務めていた信政がそのまま沼田城主を継ぐことになります。兄が治めた信吉の沼田を相続するにあたり、哀れと感じたのか信政は、
もう一人の兄の遺児・真田信利(又は信直)に5000石を沼田3万石のうちから分け与えています。この時まだ、真田信利は、兵吉という幼名を名乗っていて3歳児でした。
ですが、この信利は、自分こそが真田信之の嫡流であるという自負があったのかお家騒動を引き起こす張本人になります。
一方、真田信之ですが、大坂の陣後、先祖伝来の上田を治めつつ質素倹約を務めた結果、信之の手元には、20万両というお金が蓄えられていました。が、元和8年(1622)突如として信之に対して信濃国松代藩への移封を申しわたされました。一説には、これは2代将軍徳川秀忠は、関ケ原の時、真田に手痛い目にあっているのでその時の腹いせのためにやったといわれています。
この先祖伝来の上田から松代への移封の措置には、さすがの信之も腹がたったのか、上田の検地資料や人口資料、産業の分布図などその後上田に入ってくる統治者になくてはならない重要な資料をすべて焼却処分してしまったとか。信之なりのささやかな抵抗だったのかもしれませんね。松代に入って役にたったのが、それまで質素倹約でためた20万両という大金でこのお金を使って明治まで続く松代藩の土台を作りあげました。
その後、松代の統治もある程度メドがついたので、信之は幕府に対して隠居を願いでています。しかし、2代将軍秀忠はこれを却下。時代を下って3代将軍である家光も『伊豆守は天下の重しである』とい理由でなかなか隠居の許可がおりません。
結局、隠居の許可が出たのは信之が90歳の年、明暦元年(1656)。あとを引き継いだのは信之の次男の信政。ですが、信政もこのとき、60歳。あまりに長く後継指名されなかったため、信政は、父・信之が嫡男である信吉の家系に相続させたいがために、ずっと引き延ばしているのではないかという疑念がよぎり、父・信之との父子関係は完全に冷え切っていたとか。しかし、結果かれみれば、家督を譲られているので、信之にそのような考えはなかったとおもわれます。ようやく肩の荷を下ろせたとホッとしている信之に最後の試練が起こります。
なんと!家督を譲って2年後の万治元年(1658)信政が死去してしまいます。その信政が死の間際に後継指名したのが、前年(1657)に生まれたばかりの2歳の幸道でした。信政には嫡男である信就(のぶなり)という人物がいたのですが、どういうわけか後継者から外されていました。ここで、幸道への家督相続に異議を申し立てたのが、上記に記した信政の兄・信吉の遺児・真田信利であります。信利はこのとき24歳の立派な青年藩主でした。
この真田信利は、叔父である真田信政が松代藩を相続することになったときに沼田3万石を譲られています。しかし、信利は沼田領だけでは満足せず、真田本家である松代藩の後継者は、父・真田信吉(信之の嫡男)の子である自分が継ぐべきだと幕府に訴えでました。
ここに、真田幸道(2歳)VS真田信利(24歳)という真田信之にとっては孫同士のお家騒動が勃発。すでに、93歳という高齢になっていた信之は、最後の気力を振り絞って藩政に復帰し、息子信政の遺言どうり、2歳の幸道を後継者とし、真田信利は沼田藩として松代藩から独立するという裁定を下してもらうように幕府に働きかけて、このお家騒動を何とか鎮めることに成功しました。
が、さすがにこの騒動で心労が重なったのか、この年の10月に大往生を遂げました。
まさに、最後の最後まで真田家が立ち行くように見守ったのちに亡くなるなんて、真田信之という人物の最後にふさわしい亡くなり方だなと感じました。信之は、弟信繁とは違う道を選択したわけですが、信之の生きて真田家の血脈を守った人生もとても勇敢な生き方だなととても感動しました。
【続報!!】
真田信之【大泉洋】の二人の息子の配役が決定されました。
★長男・真田信吉【1595~1634】広田亮平(ひろたりょうへい)さん、現在19歳母は『おこう』。
★次男・真田信政【1597~1658】大山真志(おおやままさし)さん、現在27歳母は『稲』又の名は『小松姫』 補足・猛将本多忠勝の娘
2人ともたいへん将来有望な俳優さんで、今回の大河でどのような演技をなさるのか、とても楽しみですね。
広田亮平(ひろたりょうへい)さんは、すでに4歳から演技をされているとのことで、将来は香川照之さんのような俳優をめざすという大きな目標に向かってばく進中。ちゃくちゃくと実績を積まれていて、過去の大河ドラマにも出演されています。
★「功名が辻」(06年)で幼少期の豊臣秀頼
★「軍師官兵衛」(14年)で竹中重義
★「花燃ゆ」(15年)で吉田小太郎
そして、今回大河初出演になった大山真志(おおやままさし)さんは、身長182㎝の超イケメン俳優さん。
今までは、舞台やミュージカルを中心に活躍されておられましたが、テレビドラマにも進出。
★舞台「ミュージカル・テニスの王子様」(09年)
★舞台「弱虫ペダル」(12~14年)
今後の活躍間違いなしのお二人で、今回の真田丸でも要注目ですね(笑)
【最後に!】
真田丸に出演されているキャストについて以下の記事もあるので
ぜひぜひご覧くださいね。