前回の放送で、
遂に勃発した戦国史最大の謎、

なぜ、明智光秀
信長を裏切ったのか?

一介の浪人であった光秀
あそこまで出世させたのも信長であり
信長明智光秀の才能を
高く買っていたはずなのに?

今回は、明智光秀を取り上げたいと思います。

それでは、いきましょう!

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小見出し

【織田家中で1,2を争う出世頭だった光秀がなぜ?】

明智光秀は、
享禄元年(1528年)生まれで本能寺の変があった年は
天正10年(1582)なので、55歳

討たれた織田信長は、
天文3年(1534)生まれなので
変が起こった当時は、49歳になります。

信長より6歳年上で、
信長に仕える以前は
斎藤道三・朝倉義景、室町幕府の最後の将軍になる

足利義昭など、
点々とわたり歩いて
最後にたどり着いたのが、
織田信長であります。

織田信長は、近世の扉を開けるだけあって
とても、合理的な考え方の持ち主で

家来衆に関しても、
能力があるとわかれば、身分や出身を問わず
登用しています。

その代表格が明智光秀羽柴秀吉であります。

ちなみに、この本能寺の変の時、
秀吉は天文6年(1537)生まれなので
46歳になります。

光秀と比べると9歳違いですね。

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光秀についてこちらもどうぞ
真田丸のキャストで意外な人が明智光秀を演じることに!

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光秀は、最初は足利義昭織田信長との
両方に仕えていたのですが
永禄12年(1569)辺りから、
信長の配下となって活躍していきます。

一方、秀吉はというと、
ご存じのとおり、草履取りからスタートなので
光秀よりずっと前、
天文23年(1554)から仕え始めました。

つまり、何が言いたいかと言えば、
信長に接していた期間の
長さをいいたいのです。

いわゆる織田信長歴ですね(笑)

明智光秀は、約13年
VS
羽柴秀吉は、約28年

この二人は、織田家の中で、
常に出世争いをしていたわけですが

二人の主君、
織田信長の性格を熟知しているのは、どちらですか?

問われれば、やはり軍配は、
羽柴秀吉に上がりますよね。

この主君に対する対応力の差が
この悲劇を生み出したのかな、なんて
思ってます。

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【きもいっす!】

今回の真田丸では、
明智光秀役は、
俳優デビューの岩下尚史(いわしたひさふみ)さん

片や
羽柴秀吉役は、
脇役の名バイプレーヤの小日向文世(こひなたふみよ)さん

小日向さんは、
俳優歴抜群の経歴なので、その演技力は今更、
なにもいうことは、ないのですが

岩下さんは、
伝統文化評論家ということで少し不安ですよね。

実際、前回までの放送では、
信長に激怒され、欄干に頭を思いっきり
ぶつけられているシーンぐらいしか出てきておりませんが

光秀の最後の戦い、山崎の戦いのシーンでも
セリフは、ないのかもしれませんね。

なぜ、岩下さんがキャスティングされたのかは、
わかりませんが、

光秀が和歌や茶の湯を好んだ文化人だったということ
から、岩下さんが選択されたのかなとは、

感じましたが
脚本家の三谷幸喜さんの明智光秀のイメージは、
岩下尚史さんが
ピッタリだったそうです。

三谷さんに岩下さんが
光秀のキャラクターをお聞きしたら
『信長のことが好きで好きでたまらない家来』
『お互いのことが分かり過ぎていて、面倒くさい関係になっている』

と言われたそうで

なので、
先ほどの信長に激怒され暴力を振るわれても
嫌がるどころか、

すこし喜んでいるような感じで演技指導が
入ったそうです。

岩下さん自身も自分の演技が『きもかったかな?』と感じて
エキストラさんに自分の演技どうだったと問うと
すぐに『きもいっす』と言われたそうです(笑)

岩下さんは、
フジテレビの「ホンマでっか!?TV」でも
よく出演されておられますが、

すこししゃべりかたが、お姉系(おねえけい)なので
こんなこと言ったら怒られるかもしれませんが
結構不気味ですよね。

でも、
過去の明智光秀像にない映像が出来上がったのかも
知れないので、

また新たな視点が生まれて
なぜ、光秀が謀反を起こしたのかが
解明できれば、なおよいのですが。

これは、歴史好きの方にとっては
永遠の課題なので
みなさんも予想しながら、楽しんでくださいね。

徳川家康と真田昌幸のにらみ合い

 

 

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