真田丸で人気急上昇中の出浦昌相(いでうらまさすけ)。忍者の頭領として真田昌幸を支える男気あふれる演技に、かっこいいととても評判がいいですね。

忍者というのは、武士よりも一段低い身分と見られていて後世にあまり忍者が名を残すには、相当な実績がないとダメだし、もともとは暗殺や情報収集など裏方の仕事なので、目立ったら仕事ができないので、その実態はあまり知られていないわけです。しかし、食うか食われるかの戦国時代を信濃の国衆であった真田家がうまくわたり歩けたのも、この忍者集団をうまく活用できたらこそですよね。

そんな出浦昌相を演じる寺島進さんに焦点をあてたいと思います。

それでは、いきましょう!

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【義理人情に熱い出浦昌相(いでうらまさすけ)】

現在、大河ドラマ真田丸が放送されておりますが、たくさんのキャスト陣がいる中で、特に最近、かっこいいと言われているのが、寺島進さん演じる出浦昌相(いでうらまさすけ)。

あまり、聞きなれない出浦昌相。はて?戦国武将でもないし、誰だろうと思ったかた、当然だとおもいます。

出浦昌相は、忍者の頭領として名を馳せた人物であまり名前を知られていません。信濃国埴科郡出浦の出身で【現在の坂城町】下記↓

真田発祥地でもある上田氏の隣の国衆として村上義清に仕えました。が、その村上義清が武田信玄に敗れると武田家の甲州透破(こうしゅうすっぱ)、いわゆる忍者の頭領として活躍。しかし、その武田家も天正10年(1582)織田信長によって滅ぼされました。なので、いったんは、織田家の家臣・森長可の配下になりましたが、3ヶ月後には本能寺の変が勃発。その後、同じ信濃の国衆でもある、真田昌幸の配下として真田家の裏方として活躍していきます。


詳しくは、下記の記事にて書いていますのでそちらを見ていただくとして

真田丸のキャストでこれまた異色の出浦昌相とは?


【殺陣が素晴らしい寺島進さんの経歴】

この忍者として名を馳せた出浦昌相を演じる寺島進さんは、最近ドラマでもよく見かけますよね。例えば、『逃亡者 木島丈一郎』『アンフェア』『八州廻り桑山十兵衛?捕物控ぶらり旅』『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』
『京都地検の女』など。

たいへん良い役者さんなんですが、もともとは、役者志望ではなくスタントマンに憧れて、殺陣師をめざしていたそうです。

生まれは、東京都江東区深川にある畳屋で男ばかりの三兄弟の真ん中の次男。
生粋の江戸っ子ですね(笑)

スタントマンになるために、三船芸術学院で殺陣を学び、宇仁貫三(うにかんぞう)という殺陣師に弟子入り。ある時、殺陣の練習中にあの名俳優の松田優作さんから、『君の殺陣は素晴らしい。その殺陣の雰囲気のまま俳優として出れば最高だよ』と褒められたそうです。

そして、松田優作さんの初監督作品でもある『ア・ホーマンス』にデビューという凄い出会いが俳優としてのきっかけをつかんでおられます。

ちなみに、『ア・ホーマンス』が初デビューの役者さんとして石橋凌(いしばしりょう)さんがおられます。松田優作さんは、自身もすごい俳優さんですが、人を育てる目も凄かったんですね。

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寺島進さんは、その後北野武監督との出会いによって映画俳優として知名度を上げていくことになるのですが、まだ、北野オフィスに入る前のエピソードが
特に、印象深いです。

すでに北野武監督作品に出演していた寺島進さんは、ある時北野監督がハリウッドで映画を撮るという噂を聞きつけ、当時20代後半の寺島さんは、北野オフィスに電話をして、北野監督の行き先を調べてアメリカまで追いかけていったそうです。

そして、無事に北野オフィス社長の森社長と北野武監督に会えたそうで、その後、一緒に食事をされたそうです。すっかり北野武監督に気にいられて、当時北野武監督による4本目の映画『ソナチネ』を撮影する2ヶ月前だったこともあり、北野武監督から、『あんちゃん、俺のやくざ映画の舎弟分として出るか』ということになり、出演が決まったそうです。

寺島さんは、まだまだ無名でウェスタン村のバイトで生活をしている時代でほとんど仕事がない時代だったそうで、ご本人曰く、『北野監督は、こんなどこの馬の骨ともわからない俺を起用してくれるんだからほんとに凄い人だ!』と感想を述べておられました。

それにしても、寺島進さん自身の役者としての力量もあったのかもしれませんが、それを見抜く北野武監督も素晴らしいですね。ここまで、見てきてやはりどの世界でも、人との出会いは大事だなと感じました。

それと、アメリカまでわざわざ足を運んだ寺島さんの行動力にも驚かされますよね。寺島さんは、北野武監督という人物にほれ込んだから、できた行動だと言われてましたが、そのコメントをお聞きし寺島さんは、自分の感性を大事にされているだなと感じました。

寺島さんは、大河真田丸の出浦昌相役を演じるにあたり、資料などはあまり頭にいれず、撮影現場でその時々の空気を感じ、共演者のくせやエネルギーをすべて受け入れて、反射的に演じるように心がけています。とおっしゃているのですが、これってやはり、原点の殺陣から学ばれたのかななんて感じました。

あまり、深く考えすぎずに、精神を研ぎ澄まして、あるがままを受け入れるまさに、これは、武士のようなサムライ精神を現代に受け継ぐ男のなかの男ですね。やはり、かっこいいですね。

【出浦昌相は死んだ!?】

そんな出浦昌相は、第31回『終焉(しゅうえん)』にて徳川家康を暗殺すべく徳川屋敷に忍びこみますが、なんと!真田信幸に感ずかれてしまい、本多忠勝との一騎打ちの格闘のすえ、大けがを負ってしまいます。はたして、出浦昌相は、あのまま亡くなるのかどうか?

史実では、信幸のもとで武者奉行として仕え元和9年(1623)に78歳で死去となっているので、あるいは、真田丸の出番がまだあるかもしれませんね。まだまだ真田丸を見逃せませんね。ふたたび、不死鳥のように復活する出浦昌相の登場を願って終わりたいと思います。ではでは。

【最後に!】

出浦昌相に関してもう少し知りたい方は、こちらの記事をご覧になってくださいね。

真田丸のキャストでこれまた異色の出浦昌相とは?