三月に入って急に暖かくなりましたね。


そして、真田丸でも、
展開がどんどん慌ただしくなって
きました。


とにかく、
世にいう天正壬午(てんしょうじんご)の乱
幕開けです。




ちなみに、壬午(じんご)のこの部分は
干支(えと)から
とったそうです。




天正壬午の乱の主役は、
上杉・徳川・北条という
大名クラスなのですが、




その他、信濃の地元・国人衆や、
旧武田家臣の復活など
もあり、
その中の一人として、『真田』も含まれています。



そして、今回は信濃・小県の有力国人衆の
ひとつでもあった
室賀正武(むろがまさたけ)なる
人物をシェアしたいと思います。



それでは、いきましょう!





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【同じ信濃の国人衆として】


信濃・小県(ちいさがた)地方は、
現在で言えば
長野県上田市を中心として
長和町や青木村を含めたあたりになります。



この地域では、たくさんの国人衆がいましたが、
その中でも、中世以来、
強大な勢力を誇っていたのが
村上氏です。



とくに、村上義清という名将の出現によって
(あの武田信玄を2回も負かした)
勢力の小さな国人衆は、



滅ぼされたり、一時的に隣国の上野国に
避難したりして、おりました。



しかし、武田信玄公の出現によって
状況は一変。



今度は逆に、村上義清が追われる立場に。






その後、武田信玄によって小県を収めることに
なったのが、新興勢力でもあった
真田氏になります。




そして、時代は織田政権の時代へ
小県の国人衆は、織田の配下へとなびきました。




しかし、武田から織田へと変わって
まだ、3ヶ月たらずで




本能寺の変が起こります。




さあ、たいへん!






小県の国人衆は、寄り合い会議を開き
どこの大名につくか話し合いが持たれます。


有力国人衆は
【真田氏・室賀氏・禰津氏・出浦氏等々】



しかし、武田氏が収めていた時は、



真田家は
とても、武田信玄に優遇されていたので




どうしても、この会議でも、
まるで自分が主(あるじ)のように
振る舞うように、自然となってしまいます。



真田氏の次に勢力を誇っていた室賀氏。

黙って、真田の下につくことを
良しとしません。




ここは、真田丸をここまで
ご覧になられた方ならば、わかると思います。




とくに、室賀氏は、ぽっとでの新興勢力である
真田が気に食わなかったのかも、しれませんね。




その室賀の当主として室賀正武(むろがまさたけ)
西村雅彦(にしむらまさひこ)さんが好演されています。


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【大名を目指して飛躍する真田】



真田氏の当主が、
武田信玄『わが両目のごとき人物』



例えた、
真田昌幸(さなだまさゆき)

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昌幸は、信玄の奥近習衆として

他国から仕官を申しでる

人物がいると、

その人物がどのような性格なのか、

また、平気で嘘をつくような人物なのかを

見極めさせられていました。

 

なので、人一倍

人を見抜く力があったと思います。

 

前回の

北条氏直が、あまのじゃくで、

人のいう意見と

反対の行動をとることも、

あっさりと見抜きました。

さすがに謀略の天才と言われるゆえんですね(笑)

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草刈正雄(くさかりまさお)さんが好演。
とても、ダンディでかっこいいですね(笑)




ここからは、本日放送(2016-3-6)の内容に
すこし、触れるのですが、

天正壬午の乱の解説








《NHK真田丸のサイトより》





上杉から、北条へと乗り換えた
昌幸。




そして、空白地帯となった小県。
ここを、昌幸は、国人衆による自治で
収めようと室賀正武に提案。




最初は、渋っていた正武も
最後は、納得し、昌幸の案に同意します。




そして、昌幸は、
徳川陣営に付くことを決断。




もちろん、室賀正武
昌幸の決断に従って、周りの国人衆を徳川方に
つくよう、説得して回ります。



これも、小県を独立自治区にするためと
張り切っていたのですが……。




真田昌幸は、自分の支配下をどんどん増やして
大名を目指しているとは、露しらず。




そして、この天正壬午の乱は、
天正10年の6月から、始まって
11月には、徳川と北条が手を結ぶことで終了。




約5ヶ月でこの信濃・甲斐・上野をめぐる
領有争いは、決着を見ることに。


結局、この乱でもっとも得をしたのは、
徳川家康です。



この乱によって甲斐と信濃の大半(たいはん)を手に入れ
三河・遠江・駿河を含めた5か国を支配する大大名に。




真田昌幸も、もともと支配を武田家から
任されていた岩櫃城と沼田城を守りぬきました。




そして、この乱の徳川と北条の講和の条件が
のちのち、真田と徳川が喧嘩わかれする原因に
なります。



一つ目は北条氏直に家康の娘・督姫を娶(めと)らせる

二つ目は甲斐・信濃は家康に、上野は
北条にそれぞれ、切り取り次第とし、相互に干渉しないという
条件でした。




つまり、切り取り次第とした上野の区域に
なんと、真田の支配していた沼田の地域が含まれて
いました。




この沼田は、真田家が自分の力で攻め落とした
領地であり、ここを勝手に北条方と決めた
徳川家康に対して、
昌幸は、許せませんでした。




ここからの展開は、真田丸に譲るとして




その後、室賀正武は、昌幸が、大名として
小県を収めることが、わかると大反発。




真田昌幸に攻められ、いったんは降伏するも
けっして、納得はしていませんでした。





そして、この真田昌幸室賀正武の反目(はんもく)を
利用しようと、あの男、





そうです、徳川家康が動きだします。
あとは、ドラマを見て楽しんでくださいね。
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第8話目の『調略』では、武田四天王のひとり、高坂昌信(こうさかまさのぶ)

のあとを継いだ春日信達(かすがのぶたつ)が、まさかの最後を迎えるの

ですが、実は、意外な過去がありました。

詳しくはこちら

真田丸の第8回目のあらすじで、春日信達なる人物とは?

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信繁を巡っての争い、

梅(黒木華)きり(長澤まさみ)

決着をつけた意外な人物とは!?

詳しくはこちら

真田丸では、正室の竹林院のキャストはないのか?