いよいよ、真田信之(大泉洋)
正室となる稲(いな)=小松姫が登場!!

この稲を演じるのは、今をときめく吉田羊さん。

この稲がのちのち信濃松代藩の初代藩主になる
真田信之の正室となって小松姫と呼ばれます。

それでは、今回は小松姫(吉田羊)さんについて
シェアしていきたいと思います。

それでは、いきましょう!

小見出し

【公私ともに充実期を迎えた吉田羊さん】

吉田羊(よしだよう)さん

本名は、吉田 羊右子(よしだ ようこ)だそうです。

すこし変わったお名前ですが、
吉田羊(よしだよう)のほうが覚えやすいですね(笑)

愛称は、名前の漢字から、『ひつじ』

本当に、羊のようにきれいな方で一度見ると
忘れないほど、インパクトがあります。

今やその演技力と美貌を兼ね備えた女優さんとして
引っ張りだこですが、もともとは舞台から
スタートされたそうで。

2001年から「東京スウィカ」という
小劇場を舞台にした劇団を旗揚げして活躍。

比佐廉(作・演出)、吉田羊(俳優)、石津陽子(制作)の3人を
中心として
活動されていたそうです。

2007年に卒業するまで主演女優として頑張られたそうです。

女優としての活動は1997年から開始されていたので
都合、2007年までの約10年間の舞台女優としてキャリアをつまれ
この経験が今に生きているのかなと感じました。

そして、転機になったのがあるマネージャーさんとの出会いだそうで
舞台を見に来ていたマネージャーさんに
『映像をやりませんか?』とスカウトされ

そのまま、そのマネージャーさんの事務所ORANKU(おらんく)
に所属。
その事務所は、マネージャーさんが
大手事務所を辞めて立ち上げた個人事務所で
もちろん、所属しているのは、吉田羊さんだけ。

つまり、マネージャーさんと二人、二人三脚で芸能活動開始。

マネージャーさんと吉田羊さんは、同い年ということもあり
意気投合してしゃにむに活動開始。

とにかく、どんな役でもいいから来た仕事をすべて引き受ける
気持ちから、プロフィール欄にあえて実年齢を非公表にしたそうです。

2007年4月から舞台女優から
映像作品へとスタート。

スポンサーリンク

そして、次の転機がまたまたやってきました。

2008年上半期のNHK連続テレビ小説『瞳(ひとみ)』で
看護師役を演じて、患者役であった西田敏行さんとの
アドリブを交えた演技を

たまたま俳優の中井貴一さんが見ておられたそうで
その演技力に魅せられた中井さんは、すぐにコンタクトを
とり、脚本家の三谷幸喜さんと引き合わせてくださったそうです。

それにしても、偶然とはいえ、
そのように引き上げてもらえるというのは
吉田羊さんの美貌もさることながら
やはり、劇団時代の10年間の経験が

あるからこそ、だと思うのですが
肝心なのは、
本人が常に前向きな気持ちで進んでいると
向こうからそういう出会いがやってくるという
不思議な縁が生まれてくるんですね。

そして、知名度が上がった番組としては
2014年7月期のフジテレビ系月9ドラマ『HERO』です。

この番組は私も見ていて
女性検事として演じられていた吉田羊さんの魅力に
すっかりはまりました(笑)

大河ドラマも真田丸で三回目となり
今回、稲(いな)として、どのような演技を
なさるのか、とても楽しみです。

ドラマとは関係ありませんが、普段のプライベートの動画
を発見したので、飾り気のない
吉田羊さんを見たいかたは、ご覧くださいね!

動画はこちら
大阪食い倒れツアー(前)11:29
 
 たこ焼きをおいしそうに食べられています(笑)
大阪食い倒れツアー(後)11:35
 

【戦国随一の豪傑と言われた本多忠勝の娘】

この稲(いな)は、徳川四天王の一人でもあり
徳川家康の天下取りに貢献した

豪傑、本多忠勝の娘になります。


本多忠勝についてはこちら
参照
真田丸のキャストで、井伊直政が誰が配役されるのか?


稲(いな)というのは、幼名で
小松姫(こまつひめ)と呼ばれるています。

この小松姫(吉田羊さん)
本多忠勝と側室の乙女の方との間に

天正元年(1573)に生まれ、忠勝の長女として
生誕。

なにしろ、豪傑・本多忠勝の娘ということもあり
かなりの男まさりなイメージあるのですが

以外と容姿は、美人であったそうな。

なので、縁談の話はひっきりなしに
きたそうですが、男まさりの小松姫
なかなか納得できる男がいなかったそうです。

そして、そこに現れたのが、真田信之(大泉洋)です。

しかし、真田家と徳川家は、二回も徳川を痛い目にあわした
いわゆる、徳川家にとっては、天敵の家。

もちろん、徳川家臣の本多忠勝としても
油断ならない相手なわけですが、

逆にそれだけ敵には、回したくないとも
とれるわけで、できれば、味方にしたいわけです。

天正13年(1585)の第一次上田合戦のあと、
真田昌幸は、上杉景勝を介して
豊臣秀吉のもとに服従しました。

スポンサーリンク

その後、天正17年(1589)には、徳川家康とも和睦が成立。
秀吉の命令で、徳川氏の与力大名となりました。

与力とは、決して家臣になったわけではなく
身分としては、対等な関係なわけで
あくまで、軍事行動を起こすさいに
協力するという関係なので、じつに危ういわけです。

なので、当初は侮っていた家康も真田家を取り込むために
本多忠勝の娘・小松姫を家康の養女として

真田家の嫡男・真田信之との縁組を申し込みました。
ただ、問題は小松姫が、納得するかどうか?

しかし、小松姫には、上記にも記したように
他にも縁談話がひっきりなしに来ており、

とにかく、婿候補を参集しました。

そして、気の強い小松姫は、
『自分の婿は自分で決める!』と婿候補一同が
いる部屋へ、つかつかと乗り込んでいき、

ひとりひとり面構えを確認していきました。
その際、なんと女だてらながら、
婿候補のまげ、いわゆるちょんまげ

よくお相撲さんの頭の上に乗っかっている
まげをわしづかみして
ひとりひとりの顔を確認していったそうな

しかし、豪傑・本多忠勝の娘ということも
あり、婿候補の誰もが、小松姫のされるがまま
だったのですが、その中でただ一人
手にもっていた扇子で

『無礼な!』と小松姫の手をたたいた若者が
いました。それが、真田信之その人だという
逸話があります。

その男気あふれる信之にすっかり
魅了された小松姫は、信之との縁談を承諾。

なんとも、本多忠勝の娘らしい
エピソードですね。

この縁談によって真田家と徳川家は
より強固な関係になるのですが

のちのち、真田家がふたつに割れる
要因になるとは、このときは
想像もしていなかったのでしょうか?

真田丸での稲=小松姫(吉田羊)さんの
登場を楽しみにして待ちたいと思います。

ではでは。

真田昌幸の裏方として活躍する出浦昌相(いでうらまさすけ)【寺島進】とは
どのような人物だったのでしょうか?
詳しく知りたい方はこちら

真田丸のキャストでこれまた異色の出浦昌相とは?
本能寺の変によって燃え上がる炎

真田丸のドラマの中では、常に邪魔者扱い気味の『きり』(長澤まさみ)さんですが
回を追うごとに、信繁にとっては、心置きなく本音でぶつかり合える
人物として欠かさせないほどに成長。
そんな『きり』さんについてもっと知りたいかたはこちら

真田丸のキャスト『きり』(長澤まさみ)の存在について
泣きまくるきり