前回の放送で、
ついに真田信繁(黒木華)にプロポーズ。

おなかの中には、新しい命が宿っています。

さて、は無事にその後出産。
かわいい我が子を
育てながら、信繁をいつも気遣う
こころ優しき女性。

ほんと、さんが出てくるとなんだか、癒されます(笑)

あ、いかん、いかん!
妄想は、これぐらいにして、今回は
さんについてシェアしたいと思います。

それでは、いきましょう!

小見出し

【信繁が最初に愛した女性】

真田信繁が最初に娶った梅(黒木華)

梅の手を握る信繁

実際の史実では、
堀田作兵衛(藤本隆宏)となっています!?

ドラマでは、
堀田作兵衛という設定になっていますが

これは、間違いではなく、堀田作兵衛の父も、
堀田作兵衛という名前だったそうで
すこし、ややこしいですが、
父の名を引き継いだのかもしれませんね。

信繁は、人質として上杉から豊臣へと人質時代が
ながくつづくのですが、

その豊臣政権の重要な人物、
大谷吉継の娘・竹林院(松岡茉優[まつおかまゆ]さん)

松岡茉優

がのちに、正室として迎えられるので、それまでは
さんが正室だったと思われます。

史実では、このさんがその後
どのような人生を送ったのかは、資料がないので

今回の大河では、三谷幸喜さんが
どのような描き方をされるのか
興味深々です。

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と書きつつ、じつは、
『NHK大河ドラマ・ストーリー』(前編)には
衝撃の結末が書かれております。

第13話(4月3日放送予定)の第一次上田合戦をぜひぜひ
ご覧になってくださいね。

の兄、堀田作兵衛は、史実では、
慶長19年(1614)信繁が九度山から脱出して
大坂城に入城したと聞くと

いてもたってもいられず
上田から49人の同僚を引き連れて
大坂城にはせ参じたそうです。

よほどに、真田信繁のことが大好きだったのでしょう。
信繁も、上田から駆け付けてくれた堀田作兵衛に感謝というよりかは
勇気づけられたに違いありません。

そして、作兵衛は数度の戦功をあげたのち、
見事に討ち死に
したそうです。

今から、最後の合戦シーンがとても楽しみですね。

【信繁と梅のあいだに生まれた子とは?】

そして、肝心のとのあいだには、
かわいい女の子が生まれました。

赤ちゃんを抱っこするお母さん

 

 

 

 

 

 

 

 

名は『菊(すへ)』というそうです。

『菊(すへ)』が生まれたのは、いつなのかわからないのですが
予想としては、天正10年(1582)あたりかな?

『菊(すへ)』は、すくすくと育ち
梅の兄・堀田作兵衛の養女として大きくなります。

うん?さんは、そう天正13年に亡くなります。
詳しいことは、上記に記したドラマの回をご覧になってくださいね。

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その後、『菊(すへ)』は、
長窪(ながくぼ)村{小県郡長和町}の
郷士・石合(いしあい)十蔵
嫁ぎました。

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補足としまして、菊(すへ)の嫁いだ石合家は

江戸時代を通じて中山道長窪宿の本陣を務めた

家柄だそうで、本陣を務めるような家は

その土地では名家しか務まらないので

それなりに裕福な家庭を築いたのでは

と推測されます。

===================

亡くなったのは、寛永19年(1642)10月。
仮に天正10年うまれだとしたら、
61歳で亡くなったということになりますね。

この長女の『菊(すへ)』のいくすえを信繁
最後まで心配していました。
実際に手紙が残っているそうです。

信繁は、正室・側室すべて合わせると
4男9女あったと言われていますので
今で言えば、大家族になりますね(笑)

たいへん子煩悩で、
家族の今後の生活を気にしながらも
最後の大勝負に打って出たわけですが、

結果は、ダメでしたが、
あの徳川家康を自害直前まで追い込むという

日本一の名誉をちゃんと
子孫に残せたわけですから、
大成功だったといえますね。

男の本懐を果たした、わけですからね。
自分も少しでも信繁のような人生を送れたら
なんて考えてしまいました。

悔いのない人生を歩みたいと思います。
ではでは。

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