天正壬午の乱、勃発時、
真田昌幸は、一時、上杉についたが、

上野沼田領の問題で、ふたたび、徳川から、上杉に鞍替えすることに

しかし、上杉景勝は、昌幸の身勝手な振る舞いをなぜ許したのか?
実は、昌幸の旧主・武田勝頼から
受けた恩義に報いた可能性があるのです。

そして、沼田領は、元はといえば上杉が支配していた
地域でもあるので、他人事ではなく、昌幸の気持ちが
理解できたのでしょう。

そして、一番大きかったのが、昌幸が上杉に
人質として、送った信繁の存在が大きかった
と思います。

今回は、真田家にとっては、やはり恩人になる
上杉景勝という人物について
シェアしていきたいと思います。

それでは、いきましょう!

小見出し

【偉大な叔父から上杉謙信から何とか越後を引き継ぐ】

弘治元年(1555年)
上杉景勝は、謙信の姉・仙桃院の次男として
上田長尾家当主・長尾政景の子として、生まれています。

そもそも、上杉謙信も越後の守護代長尾家の出自で

この長尾家は、三つにわかれて
常に一族でもめている家柄でした。

1.三条(府内)長尾家  謙信はこの家系

2.古志長尾家  のちの上杉景虎(実父北条氏康)

3.上田長男家  のちの上杉景勝(実父長尾政景)

しかし、謙信は、その類まれなる戦闘力や
カリスマ性でもって越後を支配して
いたので、謙信が生きているあいだは、

上杉謙信公の似顔絵

問題は、表面化したこなかったのですが
天正6年(1578)3月、上杉謙信が脳溢血で、急死すると
後継者問題が起こります。

これが、世にいう御館の乱(おたてのらん)です。

謙信には、正室がなく
生涯不犯、つまり女性との関係を
一切、持たなかったと言われています。

これは、謙信の母がとても信心深く立派な女性で
あったため、ちまたの女性が汚らわしくみえたとか

はたまた、自分は毘沙門天の生まれかわりだという
自負から、女性を近づけなかったとか

さまざまな説があります。

なかには、上杉謙信は、女性であった!?

なんてことも言われたりしますが
実際は、どうだったのか誰もわかりません。

ですが、戦国屈指の名将であったことには
変わりがありません。

なにせ、あの武田信玄北条氏康(氏政の父)
二人同時に相手をしても、倒せないほどで
天下取りを望めば、いつでも
できるだけの実力者でありました。

しかし、上杉謙信は、義の武将で
決して、自分の欲望で
動くことは、なく常に大義名分が
あるかどうかで、動く武将でした。

しかし、この名将には、
実は4人の養子がいて

その中でも、血縁のある
謙信からしたら、甥である景勝と

そして、長らく敵対関係であった
北条家と同盟を結んだ際に
北条家から派遣された北条氏康の7男・上杉景虎

この二人が謙信の跡目を巡って争いに
なります。

そこに輪をかけて、さきほどの

古志長尾家と上田長男家の対立も加わり
上杉家臣団は、真っ二つにわかれます。

スポンサーリンク

この両者の戦いを巡って

上杉景勝(謙信の甥)VS上杉景虎(北条氏康の7男)

当初は、上杉景虎(北条氏康の7男)
側が、有利とされていました。

実は、この争いに介入して
結果的に武田家滅亡を早めたのが
武田勝頼その人であります。

実は、上杉景虎の兄でもある北条氏政
弟の応援をするため、
すぐに援軍を送りたかったのですが、

別方面で交戦中でもあり
ただちに援軍を送れる状況にはなかったのです。

なので、当時北条と同盟関係にあった
武田勝頼に景虎援軍の為、
出兵してほしいと頼みます。

そして、その要請をうけた勝頼
武田信豊(勝頼のいとこ)を先鋒とする
2万の大軍で

信濃・越後の国境境まで進出。

これを、みた上杉景勝側は、
武田勝頼に対して、和睦するために
東上野の割譲と黄金譲渡の条件を出し、

勝頼は、この条件で承諾し
北条氏政の要請とは、逆の上杉景勝側を応援する
ことになります。

本来であれば、同盟関係の立場上
北条景虎を援助しなければ、ならないのに
あろうことか、敵を助けることになります。

これを受けて北条氏政は武田との同盟関係を破棄。
翌年天正7年(1579)徳川氏と
さらに天正8年(1580)織田氏と相次いで同盟を結び

武田家は、東の大国北条
南の徳川、さらに西の強国織田と
三方から攻撃をうける立場に

結局、天正10年(1582)あっけなく滅亡します。

しかし、武田勝頼の援助を受けた上杉景勝
当初の不利な立場から、逆転し
景虎を自害に追い込んで、名実ともに
謙信の跡目を継ぐことになります。

が、その後
武田を滅ぼした織田方に包囲され

武田家と同じ運命をたどるかに
思われた直後に、

本能寺の変で信長が死去。

かろうじて、首の皮一枚をのこして
助かったのでした。

こうやってみてくると
上杉景勝は、運が
良かったともいえますが、

しかし、この上杉家も
こののち、真田家と同じく波乱万丈の結末が
待っています。

少し、長くなったので、またの機会に
お話しをしたいと思います。

ちなみに、のちに活躍する直江兼続は、
この御館の乱(おたてのらん)

どのような活躍をしたのか
あまり、資料がないそうなので
2009年に放映された大河
『天地人』(妻夫木聡)をご覧になれば
参考になると思います。

わたくしも、もう一度勉強がてら
見てみたいと思っています。

スポンサーリンク

【武田勝頼と上杉景勝は、同じ2代目という苦しい立場】

しかし、武田と上杉は、あれだけ互いに
信玄と謙信の時代のときは、激しく
領土を巡って戦っていたのに

次の世代の、勝頼と景勝の時代では
互いに、助けあったり
と戦国時代の激しい移ろいのなかで

常にライバル関係でも
あり、よき友でもあったのかなといえる
のでは、ないでしょうか。

でも、家が後世に存続したのは
上杉家であり、対立関係にあった
武田と北条家は滅んでいます。

この違いはなんなんでしょうか?

一つ言えるのは、上杉家には
謙信以来の義の旗のもと

約束は守る家だという
確固たる信念を貫いたという
こだわりが、最後のところで
いい方向に向いたと言えます。

結局、大名家同士の戦いとは
いえ、そこで、うごめいているのは
今も変わらない人間です。

なので、本質的には嘘をつく人間よりかは
誠実な人間の側につきたいし、

自分がこの世に生まれたからには
その証(あかし)でもある、生きざまを
残すことが、名誉にもなったと
考えられます。

常にその時その時を精一杯生きる
ことが、大事だなとつくづく
感じられ、感慨深くなりました。

真田丸では、この上杉景勝
遠藤憲一さんが好演されています。
ぜひ、見てくださいね。

真田昌幸と幼なじみとして
ともに、小県の国人衆のひとりであった室賀正武(西村雅彦)とは
どのような人物だったのか?

真田丸のあらすじ(第9話)で室賀正武をわかりやすく紹介
真田昌幸と室賀正武が堅い握手をする

真田丸も約5分の1を終了したわけですが
信幸(大泉洋)・信繁(堺雅人)の姉・松(木村佳乃)は、思いがけない
登場になるそうです。その松に当てた信繁の手紙が現存しています。
詳しくはこちら

真田丸の松は、今後どうなるのでしょう?
琵琶湖の畔で、明智兵に追い詰められる松