今年の大河真田丸は、いろんな意味で
今までの固定概念を覆すような演技が見られて
とても新鮮なのですが、




なかでも、徳川家康(内野聖陽)の何とも頼りなさげな
感じが、逆にユーモラスがあってとても
人間臭くて逆にいい感じですね。




特に、家康
本能寺の変に際して
命からがら伊賀越えをして
本拠地三河にたどり着いて
側室の阿茶局の膝枕を受けているシーン
家康
『死ぬかと思った!』という
コメントも実感がこもっていてとてもよかったです。




今回は家康が、駄々(だだ)っ子のように甘える
阿茶局(斉藤由貴さん)を取り上げたいと思います。

それでは、いきましょう!



【徳川家康の数ある側室の中でも一番の知恵者】


徳川家康は、74歳という当時としては
長生きであった為、その側室もたくさんいたわけですが




のちの二代将軍の秀忠(ひでただ)松平忠吉を生んだ
西郷局をはじめ
約20人ちかくいたわけですが
その中でも、最も知恵者であったのが
阿茶局(あちゃのつぼね)になります。



斉藤由貴さんが、見事な演技をされて
おられますが、




この阿茶局は、たいへん頭の働きが鋭く
家康を陰から支え続けたと思われ
その姿は1584年に起こった
小牧・長久手の戦いの陣中にも。




その時、家康との間にできた子供を身ごもって
いたのですが、流産するという悲劇が……。

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このように、常に家康と共に
活動を共にした阿茶局は、徳川家の奥向き
つまり、今で言う
家庭内のことは、すべて
阿茶局に任されていたそうです。




家康が天下を取れた一因としては
このように、徳川家という家庭内が
阿茶局のような優れた女性によって支えらていた
というのもなきにしもあらずだな
と感じました。




男が外で元気に仕事ができるのは
やはり、家庭でしっかり家を守ってくれる
女性がいて、初めて力が発揮できるというもの。




昔は、外は男・内は女という関係ですが
今は、外は女・逆に内が男のパターンもあるわけで




この役割分担は、それぞれの家庭によって
違うわけですが、さてさて…。



この阿茶局の父親は、甲斐武田氏の家臣で
飯田直政。




武田信玄の弟であった一条信龍に属していた
神尾忠重という人物に阿茶局を一度嫁がせています。



しかし、1577年(天正5)忠重が亡くなり
子供を抱えた未亡人、今で言うシングルマザーになります。


その2年後1579年家康に仕えることに。




それにしても、徳川家康
側室は、未亡人・今で言うシングルマザーに
なった方がとても多く




例えば、
西郷局(さいごうのつぼね)……徳川秀忠(家康の3男)・松平忠吉(家康の4男)

茶阿局(ちゃあのつぼね)……松平忠輝(家康の6男)

お亀の方(おかめのかた)……徳川義直(家康の9男)

そして
阿茶局(あちゃのつぼね)ととにかく
後妻になった女性で
聡明で、きれいな女性を側近くに仕えさせました。




これには、正室であった築山殿とのトラウマが
そうさせたのでしょうか?





この築山殿との婚姻は
家康が駿河の今川家に人質として
なっていた時、
1557年(弘治3年)。
家康が15歳。築山殿が16歳!?と
共に思春期真っただ中の時に結ばれました。




これは、築山殿今川義元の姪という形なので
明らかに政略結婚であり、両者共にしぶしぶという
関係だったのでは、ないのかと推測されます。




そして、この築山殿は、とても傲慢で
つまり、常に自分より他人を見くだす性格で
しかも、とても嫉妬深かったとか。




これは、江戸時代に広まった評判なので
実際、どのような性格であったのか
わからないわけですが、あまり良い性格といいますか
気性の激しい女性であったのかもしれません。

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そんな二人の転機になったのが
あの、桶狭間の戦い(1560)になります。




当時戦国大名として
強国であった覇者・今川義元
尾張の弱小大名であった織田信長の奇襲攻撃によって
討ち死にするという大事件が発生。




この今川家の大ピンチの時を見計らって
徳川家康は、父祖伝来の三河・岡崎城を取り戻し
独立大名として、今川家を攻撃することになります。




そして、2年後には、織田信長と同盟を結びます(清州同盟)





しかし、今川家と徳川家、当時は松平家の橋渡し役で
結婚していた築山殿は、苦しい立場に置かれるわけで
この家康築山殿から見れば、裏切り行為によって
築山殿の父、関口親永(せきぐちちかなが)は、今川家を継いだ
氏真(うじざね)から、敵とみられて
切腹を命じられ、亡くなっています。




築山殿にしてみれば、旦那は父の敵(かたき)になってしまった
わけで、家康と築山殿との関係は最悪状態。




そして、のちのち家康と築山殿との間にできた
信康ともども、悲劇的な結末になってしまいます。




このように、家康の前半生は、公私共にとても
厳しい状況であったわけですが、この築山殿とのトラウマから
できるだけ穏やかでしかも、聡明な女性を愛したと
思われます。




これには、家康自身の性格も穏やかであったから
とも言えるのではないでしょうか?
家康の長い生涯で、激怒して回りの付き人を手討ちに
することは、なかったといわれているので
根が優しかったのかもしれません。

【斉藤由貴と言えばスケバン刑事】


そんな家康をまるで子供のように叱りつける阿茶局
そんな役を、違和感なく演じる斉藤由貴さん。




そんな斉藤由貴さんは、
昨年、デビュー30周年を迎えられたそうで
おめでとうございます。

不良スケバン


私の中では、スケバン刑事のイメージがとても強く
セーラー服姿でヨーヨーで次から次へと


叩きのめす姿が思い起こされます(笑)




今の若い人には、ぜんぜんわからないと思いますが
その後の南野陽子さんや浅香唯さんと
このスケバンシリーズが続いたわけですが




みなさんいい年の取り方をされていて
あ!あまり年齢のことをいうと怒られるかもしれないので
いいませんが、
みなさん、今も変わらずとてもお綺麗です。




斉藤さんは、3人のお子さんを育てられた
お母さんでもあるわけですが、
女性は、本当に母親になるととても
強くなりますよね。




自分も妻に時々、切れられたときは
ほんと、惨めなくらいオドオドしてしまいます。




なので、できるだけ
言われることに対しては、『はい!はい!』
と逆らわないようにしています(笑)




それにしても、女優から歌手、そして詩、小説、エッセイと
幅広く活躍されている斉藤由貴さんは、
まさに才女。
今後も大活躍されること間違いなし。




わたくしも陰ながら応援させていただきます。
ではでは。



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